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般若心経とデジタル

更新: 2018年7月1日

 物心ついた頃といえば60年ほど遡るが(笑)、祖父の月命日に坊さんの後ろにちょこんと座って、何もわからずに一緒にお経を唱えていたことを鮮明に覚えている。先祖代々禅宗の寺の檀家だったので、お経は言わずと知れた般若心経だった。敬虔な方ではなかったが、それから数十年が経過して般若心経を聞くたびに、その意味を考えるようになった。

 たった300字足らずの経典であるが、深い意味が凝縮されていることを知った。特に感銘を受けるのが「色即是空」「空即是色」という言葉である。「色すなわち空なり」「空すなわち色なり」なのだが、皆さんはどう解釈するだろうか。筆者は「色、つまり目に見えるものはからっぽで実体がない」「目に見えないものにこそ実体がある」と理解した。目に見えるものとはこの世に存在するすべての物質を表し、目に見えないものとはひとの心や考えを示している。

 目に見える、形のあるものはからっぽで実体がない。目では見ることのできない、人の心や考えこそがこの世の実体である--。これをさらに考えると、物質的な欲に駆られることなく、ただひたすらに清い心を持ち続けることが自分自身と人類の幸福につながるという意味にたどりついた。本当に深いと思う次第である。

 ところが、最近目に見えない、形のないものが巷に溢れ出してきた。デジタルやAIである。この輩の過去の成長速度を未来に延長して推測してみると、恐ろしいほどのパワーを身につけながら成長していくことに間違いはない。現にDisruptive Technology(破壊的技術)という言葉が普通に使われるようになっている。

 デジタルやAIは人類の平和や幸福に貢献すると同時に、使い方によっては一瞬のうちに多くの幸せを奪い取ってしまうリスクを兼ね揃えている。しかしこれらの技術を生み、育て、使っていくのはとりもなおさず我々、人間である。未知のパワーが秘めるリスクが現実のものとならないように、「色即是空、空即是色」の神髄を銘記し続けたい。

アドバイザー 
沼 英明