オピニオン
式年遷宮と生成AIに想う「所作」と「視写」
更新: 2025年7月1日
20年に一度行われる伊勢神宮の式年遷宮が、本年5月2日の山口祭を皮切りにスタートした。式年遷宮とは神宮の社殿を全く新しくし、御神体を新宮(にいみや)に移す儀式のことである。実際の式年遷宮は2033年の秋だが、準備は8年前の今年から始まるのである。
式年遷宮では、神宮の内宮(ないくう)、外宮(げくう)の2つの正宮だけでなく、別日程で14の別宮(べつぐう)、109の摂社・末社・所管社や五十鈴川に架かっている宇治橋、鳥居なども造り替えられる。社殿が置かれる敷地は、東西に全く同じ広さの敷地があり、今ある社殿の隣に最初からすべて造り替えていく点がかなりユニークである。
しかも造り替えられるのは、建物や橋、鳥居といった建造物だけではない。衣服や服飾品などの「御装束(おんしょうぞく)」、刀などの武具、楽器、文具、日用品などの「神宝(しんぽう)」をすべて全く新しく作り替えて奉納する。その数は714種類、1576点にも及ぶ。それら一つひとつに専門の職人がいて、伝統を守っている。第1回目の式年遷宮は持統天皇4年(690年)に行われ、途中で中断があったものの1300年もの長い間繰り返され、今回の式年遷宮で63回目となる。すごい伝統行事である。
式年遷宮が20年に一度行われるのは、昔の人の寿命でも一生に2度は遷宮に携わることができ、2度目あるいは3度目の職人が初めての職人に技能を継承できるからではないかと考えられている。実際、先日行われた御杣始祭(みそまはじめさい)という木曽の御杣山でヒノキ2本を伐採する儀式の杣頭(そまがしら:伐採作業の責任者)は32歳の時、初めて御杣始祭に作業者=杣夫(そまふ)として参加。3回目の今回、杣頭になったという。御杣始祭で実際に伐採を担当する杣夫の方々は5年前から斧のみで木を切り倒す練習を続けるのだそうである。
すべてが昔のまま維持されているわけではない。例えば式年遷宮で使われる和釘は、もともと伊勢大湊の木造船を作っていた業者が代々制作していた。船が強化プラスチックに変わってきたことで和釘を作る業者がなくなり、1989年からは新潟三条市の三条工業会で作られているそうである。職人の数が減少している日本ではこうした伝統を守るために職人を守っていく必要がある。この式年遷宮がなければ和釘づくりの伝統はストップしていたかもしれない。このように跡継ぎがいなくて伝統が途絶えてしまった例は他にもあるのではないだろうか?
伝統ということで言えば、教育の世界で過去の伝統が失われつつあるように思う。特に「所作」と「視写」である。江戸時代の寺子屋では、教科書として使われていた「往来物」を基本に、社会生活での礼儀作法や立ち居振る舞いを徹底して教えていた。それが「所作」である。寺子屋は「読み書き算盤」だけのイメージがあるが、実際には礼に始まり、礼に終わる指導が行われていたようである。
もう一つの「視写」は、良い文章を「書き写す」ということである。なるべく格調の高い文章を書き写すのである。「手習い」というのはこのことであり、江戸時代は筆で書いていたが、現代だと原稿用紙に鉛筆で書いていく。もちろん筆でもいいが、キーボードだといくら叩いても駄目で、ひたすら手を使って書き写す必要がある。1日1枚でも年間365枚、3年で千枚を超える頃には非常に文章が上達しているとのことである。繰り返し続けることで「身体化」していくのである。
茶道や武道の世界に「守・破・離」という言葉がある。「守」はひたすら手順を守りながら黙々と同じ作法を繰り返し続けていく段階、「破」は既存の枠にとらわれずに型や手順を発展させる段階、「離」は創造性を発揮して独自の何かを生み出す段階である。そうした段階を経る中で才能が開花する。基本にあるのが「守」であり、それは「身体化」と通底する。茶道や武道の世界では「所作」や「視写」が守られている。
話は変わって、ITやデジタルの世界では、最近はもっぱら「生成AI」がブームになっている。生成AIを使ってイノベーションを起こすことを重要視する風潮にあるが、筆者にはこの風潮が本質論から外れているような気がしてならない。単純作業をいくら簡略化してもイノベーションは起きない。生成AIに対して人間が「問い」を立てる能力が必要であり、その能力は一朝一夕にはできない。あくまでコツコツと日々鍛錬をすることによってしかクリエイティブな能力の習得はできないのである。わからないからと言ってすぐにAIに質問してしまうのは良い行動とは思えない。AIに「聞く」のではなく「使う」という発想が必要だと思う。
先日、函館で開陽丸記念館を見学した。驚かされたのは、当時オランダに派遣された留学生たちの勉強量である。オランダ語の辞書が手に入らない時代である。並々ならぬ覚悟がなければ留学を続けられない感じだった。昨年は鹿児島で島津藩の郷中(ごじゅう)教育を見た。江戸時代の教育が幼稚園から大学レベルにわけられ、上の者が下の者に教育するというやり方で、小さい頃から四書五経の素読や歴史書の講義があり、それだけでなく、武道や心の鍛錬なども取り入れられており、目を見張るものがあった。また、知覧の特攻平和館で見た特攻隊員が書いた遺書の文章力と文字の美しさにも驚いた。10代後半から20代の若者である。
振り返って今はどうなのだろうか。SNSでは誹謗中傷が飛び交い、権利を主張する人の声だけが大きく、かつての日本人らしさがどんどんと失われてきている。「所作」、つまり礼儀作法や立ち居振る舞いがおかしくなってきているのではないだろうか。企業も自社の利益や効率重視ばかりで日本全体を豊かにしていくという発想を失っていないだろうか。「生成AI」などの新しい技術に飛びつく前に、日本人として大切なものとは何かを問い続ける必要があるように思う。
「式年遷宮」という古くからの日本の伝統に思いを馳せながら、我々の世代で日本の良さを失わないように、まずは教育の見直しから始めていかなければならないのではないかと思う今日この頃である。
ニチハ株式会社
システム統括部長
鈴木 康宏