cio賢人倶楽部 ご挨拶

オピニオン

今、改めて考える「CIOという職務」の本質

更新: 2018年6月14日

 CEOやCOO、CIOといった、いわゆるCxOという職務は法律的に何らかの定めがあるわけではない。責任者の呼称に過ぎず、職務に応じて様々なCxOがある。日本でCxOを耳にするようになったのは世紀を跨ぐ2000年前後であり、ソニーが1997年に執行役員制度を初めて導入したのが始まりとも言われている。

 その執行役員制度は、経営(意思決定と執行監視)と事業の執行の役割を分離するという米国流のコーポレート・ガバナンス(企業統治)に由来している。CxOは経営側の取締役にも事業側の執行役員にも適用される呼称である。現にCEO(最高経営責任者)やCOO(最高執行責任者)などは取締役が担うことが多い。

 コーポレート・ガバナンスは米国が発祥で、企業不祥事の防止と競争力の強化という2つを目的としている。しかし、21世紀に入ってすぐに米国ではエネルギ-会社のエンロンや通信のワールドコムの粉飾決算が相次ぎ起こり、日本でも西武鉄道やカネボウ、ライブドアの有価証券報告書虚偽記載が連鎖現象のように起こった。

 コーポレート・ガバナンスへの信頼性が薄らぎ、米国ではサーベンス・オクスリー法(SOX法)が、日本では金融商品取引法(日本版SOX法とも呼ばれる)や会社法が制度化され経営の監視機能が強化された。それでも米国では2008年9月のリーマンブラザースの経営破綻に端を発する世界経済に大打撃を与えた金融危機が発生し、日本でもオリンパスの粉飾決算や東芝の不正会計処理、神戸製鋼所のデータ改竄など不祥事は止まることがない。この事実からコーポレート・ガバナンスの目的の1つである不祥事の防止には、CxOや執行役員制度は無力であると考えたほうがいい。

 筆者は、日本企業の不祥事が一向に無くならないのは米国型の経営に傾きすぎているからではないかと考えている。会社は株主のためにあるという株主資本主義やマネー資本主義・金融資本主義に流されて短期の収益が目的化し、ROI(投資収益率)やROE(自己資本利益率)という株主のための利益指標を重要視している。

 短期収益という目的のために従業員の成長やモチベーションをないがしろにし、正規雇用が減る一方で非正規雇用や派遣人材が増えて労働環境が劣化してきた。対策として打ち出された働き方改革は、働く前提ではなく働かせる前提でしかない。利益が出れば経営者と株主への分配を優先する経営の考え方が経営の長期視点を失わせ、不正に手を染めることに鈍感になっているのではないかと疑われるのだ。

 話をCIOの職務に戻そう。CIOは最高情報責任者であり、その職務は狭義には情報戦略や情報システムの責任者である。コーポレート・ガバナンスのもう一つの目的である競争力の強化に大いに関係している職務なのだが、しかし、情報が社会を動かし、経営を支配する時代になった現在では、CIOと言われだした20年前とは違うことは明らかだろう。それなのにCIOをそのままに、近年ではCDO(最高デジタル責任者)という役割も現れだした。デジタル経営という概念が出てきて、狭義のCIOでは役割不足だからデジタル戦略を担う責任者を別に置くというわけだ。

 そこで改めてCIOという職務の本質を考えてみる。元々、対象は「情報」であり、情報はデジタルだけではなく、アナログ情報もあれば文書型情報もある。加えて情報処理が必要なのは、バックオフィスの効率だけではない。生産現場にも営業現場にも経営現場にも業界の連携にも情報課題や必要な戦略がある。今日のCIOはこれらを包括的に捉えて、企業の競争力強化のために情報戦略を立て、結果を出す責務がある。CIOがその責務を果たすなら、CDOを置くような職務の細分化は必要ないはずだ。

 米国型経営に傾斜しすぎた日本企業は、短期の数字を追いかける経営から脱却し、日本企業が本来持っていた公益思想や経営倫理に立ち戻る時期に来ている。長期展望を持ち、デジタルだけでは解決しないアナログな働き甲斐やモチベーションにも目を向けることが欠かせないのだ。そのような経営に資する情報責任者の職務は昔の狭義のCIOではなく、広義のCIOでしか果たせない。

CIO賢人倶楽部
会長 木内里美