オピニオン
QCサークル活動とDX推進の親和性
更新: 2024年5月1日
ここ数年、大手製造業における認証試験や完成検査などにおける不正事案が後を絶たない。技術士の知人と話をする中で、そうした製造業の劣化は「QCサークル活動(小集団による品質改善活動、以下QC活動)が衰退したことと、関係しているのではないか」という話になった。
確かに筆者が銀行に入行した1980年代後半、日本では多くの企業で盛んにQC活動を行っていた。銀行にも品質管理部という部署があり、各支店のQCサークルチームがそれぞれの地域で半期に1度発表会をしたり、優秀チームは全国QC活動発表会で発表したりしていた。
「QC活動の7つ道具」があって、フィッシュボーンと呼ばれる特性要因図、ヒストグラム、パレート図、散布図などを駆使して状況を把握する資料を作成していた。PowerPointがない時代だったので、統計資料を透明なプラスチックフィルムにコピーしてOHP用の発表フィルムを作る。マーカーで色をつけたり、フィルムをセロテープでつなぎあわせて画面変換ができるようにしたりと、発表準備には膨大な時間をかけていた。
大変だったが、一方でチームでワイワイ言いながらQC活動を進めていくのはとても楽しかった思い出がある。QC活動は仕事時間に組み入れられていたし、遅くまで残っていた場合は残業代として計上された。「最近入社してきた新人たちはこのQC7つ道具を知らないのだけど、それってどうなんだろうね?」という話になった。
今思えば、QC活動には現場の改善が進むことだけでなく、活動をしていく中で仕事とは別のコミュニケーションが生まれるという大きな利点があった。野中郁次郎のSECIモデルでは「暗黙知」の表出化はタバコ部屋などのインフォーマルな場所で生まれていた、としていたが、まさにQC活動はそのような場だった。当時はほかにも、社員旅行や大規模な社員運動会、近隣支店との合同花見会、ボーリング大会など数限りないレクリエーション活動が盛んで、部署を超えたコミュニケーションが活発だった。
ところがバブルが崩壊し、経済成長が停滞した頃から企業活動は利益重視(コスト削減)に偏っていく。まずQC活動が衰退し、レクリエーション活動もなくなり、どんどんコミュニケーションの機会が減少した。日本企業が大切にしていた家族主義的な経営、OJTを通じた人材育成、失敗を許容する風土といったものが、アメリカ発のMBA的な効率的経営に置き変わってしまい、行き過ぎた成果主義が蔓延してしまう。この”行き過ぎた成果主義”は、冒頭の検査不正や品質不正の直接的原因でもある。
皮肉なことに、日本がそうやってアメリカ的な経営に移行しようとした90年代中頃、アメリカでは逆に日本のカイゼン活動を研究し、「シックスシグマ」などの品質管理、ドラッカーなどが提唱する「新しい経営」、ピーター・センゲの「学習する組織」などのチーム論など日本を研究し、手法を改善し、「ボトムアップ」さらには「現場間の情報共有」を前提とした経営が行われるようになった。これらはどれも、日本が昔からやっていた「話し合い」重視のチーム活動を奨励している。お互いが納得するまで話し合って改善していくという形である。
アジャイル開発もその一つである。こうしたチーム活動による協力体制や職場の一体感はとても重要で、今ガートナー社が「DX推進にはフュージョンチーム(多分野混成チーム)の結成が必要」と訴えているが、これって昔から日本企業がやってきたことではないかと思うのである。
筆者は大学院でDXを研究しているが、最近2400人の会社員に行ったアンケートで、DXが進んでいる企業と遅れている企業の比較を行ったところ、下図のような興味深い結果が得られた。当たり前といえばそうなのだけれど、実際にデータで見ると「意見を言いやすい雰囲気」、「チャレンジできる風土」、「情報がオープン」、「リラックスできるスペースがある」、など「職場の風通しの良さ」がDX推進に必要なことがわかる。
実際、DXのワークショップを開催すると「こんなふうに仕事の改善案を考える時間がほしい」とか「このような話し合える場がほしい」といった企業文化の変化を望む声がかなり多い。QC活動の復活とまではいかなくても、部署を超えて、「業務のカイゼン」や「新しいサービス」を考えるチームと時間を作ることが今後とても重要になるだろう。そこで生まれたアイデアを実際の業務で次々とデジタルで実現していくことがこれからの日本企業には重要である。今後のDX推進をきっかけに飛躍的な日本企業の成長を期待したい。
ニチハ株式会社
システム統括部 部長
鈴木 康宏