オピニオン
もめないコミュニケーション
更新: 2024年11月1日
筆者は主にファイトマネーで生活しています。といってもボクサーではなく、弁護士です。交渉や裁判所で法的紛争を解決する、あるいは予防法務に関することが主な業務です。そんな筆者がよく手がけるのが、情報システムに関連する法的紛争です。報道で目にすることも少なくありません。本稿では、弁護士の視点から、その予防策について私見を述べます。
法的紛争を防ぐためには、健全なコミュニケーションが鍵となる
情報システムに関する法的紛争を予防するにはどうすればいいでしょうか?実は一流の法務部員や弁護士が契約を緻密に作り込んだとしても、完全に防ぐことはできません。近年報道されている情報システムに関する法的紛争の当事者は多くの場合、名だたる大企業や地方自治体です。一流の法務部員や弁護士が契約に関与しています。それでも法的紛争が発生しているのです。
契約は、法的拘束力を持つ合意内容を明確化し、原則と例外の処理手順を定め、不測の事態におけるリスクを抑える役割を果たします。しかし、契約書はあくまでもルールブックに過ぎません。情報システムに関する法的紛争は契約書の内容自体よりも、むしろ当事者間のコミュニケーションギャップに起因することが多いのです。
経済産業省が公表する「情報システム・ソフトウェア取引トラブル事例集」(https://www.meti.go.jp/policy/it_policy/softseibi/trouble%20cases.pdf)で分類されるように(表)、情報システムに関する法的紛争の多くは報酬や役割分担、文書の解釈などに関するコミュニケーションギャップが原因です。このようなギャップを生じさせないためには、どれだけ契約書を整えても不十分であり、当事者やステークホルダー間の健全なコミュニケーションが不可欠です。
コミュニケーションギャップ解消のために
コミュニケーションギャップを解消するには、まず自分たちが関わるシステムライフサイクルにおいて、過去の紛争事例を参照し、典型的な争点を押さえることが重要です。筆者は、SOFTIC(ソフトウェア情報センター)の「システム開発紛争判例に関する研究」(https://www.softic.or.jp/index.php/research/sysk)、前掲の「情報システム・ソフトウェア取引トラブル事例集」、その他の裁判例が整理された書籍、Webサイトなど、システムライフサイクルごとに整理された事例集・判例集から学んでいます。
一方、コミュニケーションギャップの総論的な原因として、当事者間で課題のレイヤー(抽象度/具体度)の共通認識が欠如していることが挙げられます。共通認識がないままコミュニケーションすることは、プロトコルの違うネットワーク階層で通信するようなもの。「使ってる言語は同じなのに全く意図が通じない」という事態すら起こります。コミュニケーションギャップを解消するためには、当事者間で課題の捉え方(抽象度/具体度)を共有することが重要です。
課題を適切なレベルで抽象化・具体化する能力を身につけるには、継続的な訓練が欠かせません。企業の経営層や上位のマネジメント層に位置する方々、あるいは我々のような弁護士は、日々の業務の中で、抽象的な経営課題・法的問題を具体的な解決策に落とし込む作業や、個別具体的な問題から抽象的・全体最適な解決策を抽出する作業に習熟します。
これに対し業務経験の浅い方々や、特定の業務に特化した専門家の方々は、こうした訓練が不十分なことが多いです。コミュニケーションギャップを防ぐためには、組織全体で課題の抽象化・具体化、コミュニケーションレベルの共有を意識した訓練や環境づくりに取り組むことが重要です。これこそが法的紛争予防の第一歩となるのです。
言葉を使いつくそう
さらに、コミュニケーションギャップを防止するには、レイヤーを揃えるだけでは十分ではありません。コミュニケーションは、いうまでもなく「言葉」によりなされます。ここでいう「言葉」には、音声・文字による言語的手段だけでなく、可視化されたデータも含みます。
コミュニケーションのレイヤーが揃っていても、「言葉」が多義的で曖昧であったり、読み手にバイアスを与えるため加工されていたり、そもそも「言葉」として表現されていないなど、不完全であるとき、必然的にコミュニケーションギャップが生じます。
ここで、田中芳樹著「銀河英雄伝説9 回天篇」(らいとすたっふ文庫)の登場人物の発言を紹介しましょう。
「言葉では伝わらないものが、確かにある。だけど、それは言葉を使いつくした人だけが言えることだ」
「言葉というやつは、心という海に浮かんだ氷山みたいなものじゃないかな。海面から出ている部分はわずかだけど、それによって、海面下に存在する大きなものを知覚したり感じとったりすることができる」
「言葉をだいじに使いなさい」「そうすれば、ただ沈黙しているより、多くのことをより正確に伝えられるのだからね」
言うは易しであり、筆者も、「言葉を使いつくす」こと、あるいは、「言葉を使いつくしてもらうこと」の難しさを日々感じています。特に後者が難しく、かつ重要です。上司、発注側といった有利な立場にあるときほど、コミュニケーションの相手に言葉を使いつくしてもらえるよう気遣えれば、多少なりとも、しかし確実に法的紛争は減少するのではないでしょうか。
弁護士法人ALG&Associates 弁護士
ITストラテジスト・システム監査技術者
税所 知久