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DXとは何者か?──フィルムビジネスを失って見えたもの

更新: 2025年11月7日

 読者の皆様はDX(デジタルトランスフォーメーション)という言葉を、どのように理解・認識されているでしょうか。この点に関して、私には今も折に触れて思い出す”苦い記憶”というか、教訓があります。もしかすると、それは私だけではないかも知れません。以下、どういうことかを論じてみます。

 DXが日本社会で広く知られるようになったのは周知の通り、2018年の経産省レポートがきっかけです。しかしDXの概念を初めて提唱したのはスウェーデン・ウメオ大学のエリック・ストルターマン教授で、2004年のことでした。同教授はDXを単なるデジタル技術やツールの導入ではなく、「デジタル技術が人々の生活全体を変えること」と定義していました。

 2004年ごろといえば、私は富士フイルムに在籍しており、写真フィルムの世界はまさに“デジタルの津波”にのみ込まれようとしていました。長年、業界を支えてきた富士フイルムもコダックも、デジタル化の波が迫っていることは理解していました。しかしその波が「写真」という行為そのものの意味を変えるほどの大きな文化的転換になるとは実感できていなかったのです。

 かつて写真とは、特別な瞬間を残すために撮るものでした。人々はその一枚のためにカメラとフィルムを買い、現像を待つ時間にも価値を感じていたはずです。ところがデジタルカメラやケータイ電話、さらにスマートフォンが登場し、誰もが簡単に写真を撮り、SNSで共有するようになると、写真は“作品”から“日常の会話”へと姿を変えました(図1)。アップルやフェイスブックといった企業はこの変化をいち早く読み取り、写真を通じて人と人がつながるプラットフォームを作り上げました。

 一方で私たち写真関連企業は、「写真を売る」という成功体験から抜け出せませんでした。プリクラやチェキのヒットで気づくチャンスはあったにもかかわらず、それらを一過性のオモチャと捉え、写真を介した体験をどう顧客価値に転換するか、マネタイズできるか、という発想に至れないままでした。DXを「デジタル化による効率化」と狭く理解してしまった結果、根底からユーザーの行動や文化が変わっていくことを見誤ってしまったのです。

 DXとは本来、単なる技術の導入ではなく、人の行動や社会の価値観を変える“文化的変容”そのものです。富士フイルムが後に医薬品や化粧品といった新しい領域に事業を拡げ、再生を果たしたのは「モノ中心の発想」から「ヒト中心の発想」へと、もう一度視点を切り替えたからでした。DXの本質は、このような考え方や意識の変革にあるのだと思います。

 そして今、私たちは再び大きな転換点に立っています。生成AIという新しい波が、20年前のデジタル化以上に社会の仕組みや仕事のあり方を変えつつあるからです。ところが残念なことに少なくない企業が「AIをどう従業員に使ってもらうか」「AIでどれだけ業務を効率化できるか」という取り組みを実施しています。生成AIという新しい波を、それがもたらす社会の変容を狭く理解している可能性があると思われます。

 では、どう理解するといいでしょう?本当に重要なのは「AIがヒトの創造性や判断、価値観そのものをどう変えるのか」を見極め、その上で人間の想像力や感性を再定義することだと思います。AIが生み出す新しい文化や価値観をいち早く感じ取り、それをビジネスや組織の変革に結びつけることが、これからのリーダーに求められる姿勢です。DXの本質を理解する企業は、AIを単なるツールではなく、新しい企業文化や組織風土を生み出すパートナーとして扱っています。

 私は2004年当時、フィルムビジネスの現場で変化を起こす様々な技術を便利な道具(ツール)と捉えてしまい、「文化として見る力」を持てなかったことの無念さを痛感しました。今、私たちは再び似た状況にあります。世界中で開発が進むヒューマノイド型ロボットを”単なるオモチャ”として片づけてはいないでしょうか。そこにある新しい人と技術の関係性を見逃してはいけない――20年前の教訓は、今も静かに私たちに問いかけています。

Office ItaBridge
代表
板橋 祐一